アーリーリタイア 世間とずれるのが怖い
古くからの友人。
随分前に起業して自分の事務所を構えています。
彼はこう感じたことがあるそうです。
金銭面より社会から離れて世間とずれるのが怖い。
一瞬なるほどと思ったわけですが。
少しばかり引っかかります。
自分にとっての世間は?
サラリーマンの世界です。
社会人になってもう32年目。
人生の半分以上を過ごした世界。
時間厳守、契約厳守、スケジュール厳守、利益最重視、効率重視、阿吽の呼吸、丁寧な応対、業務命令遵守、報連相必須、PDCAを意識・・・
息が詰まりそうな常識に周りを囲まれています。
この常識を忘れてしまうのが惜しいかどうか。
到底NOですね。
気持ちが悪い。
そんな気持ちの方が余程勝ります。
会社の外ならそうでもない?
実際どうなのでしょう。
通勤電車に行楽の老人が乗ってきたら?
ベビーカーを押した主婦が乗ってきたら?
ラッシュの国道に不慣れな車が走っていたら?
憤るサラリーマンも多いのでしょう。
しかしそれが常識的と言えるのかどうか。
正論で詰められればサラリーマンが悪い。
なのにその憤りも分かってしまうわけで。
そんな自分が嫌になることもあります。
望んで時間厳守して動きたいわけではありません。
望んで極限の効率を求めたいわけでもありません。
サラリーマンは追い詰められている。
サラリーマンにこそ優しさがほしい。
そんな風にも思えます。
子供には子供の世間があると思います。
主婦には主婦の世間があると思います。
老人には老人の世間があると思います。
サラリーマンの世間とそれ以外の世間。
どちらが真っ当な世間なのか。
もう少し世の中に余裕があったら。
そんなことも少し思うわけですが。
政治にそこまで求めるのは酷なのでしょう。
追い詰められて狂ったサラリーマンの世間。
ラッシュアワーは長年苦しいままですし。
組織は一層の効率を求めて突き上げてきます。
この世界で32年間を過ごして得られたものは?
黙って不満を飲み込んで。
年功序列に乗っかって少しだけ偉くなって。
32年分の給料を得られて。
ほんの少しだけ息継ぎをする余裕が出来た。
結局はその程度。
居心地は良くなったのか?
狂った世界に染まっているのは変わりません。
武器は蓄財と投資。
試行錯誤の末の幸運。
逃れる術は手に入れられました。
狂った世界から早く逃げ出したい。
人間らしい真っ当な「世間」に暮らし染まりたい。
そんな風に思えます。