アーリーリタイア 祝日を意識しない生活
今日は世間的には祝日の様ですね。
相場が動いていないことで気づきました。
もう長らく祝日を意識したことはありません。
サラリーマンをしていると、カレンダーを見て祝日を楽しみにするものなのでしょうが、そういった感覚はもう忘れてしまいました。
・・・と書いていると、お、アーリーリタイア組か?となるのかもしれませんが。
うちの職場は祝日?なにそれ?という職場なのですね。
なので、今も普通にサラリーマンです。
祝日に特別感が無くなる=アーリーリタイアあるある!それ分かる〜!みたいな貴重な経験の一つとなるはずだったのかもしれませんが。
自分の場合は既に折り込み済みということになるのでしょう。
とはいえ曜日の感覚が無くなるという、さらに高度な状況は随分減ったのでセーフかと信じています。
世の中、もしかしたらそういう高度な状況が継続している職場もあるのかもしれませんね。
なるべく前向きに。
祝日を見失うのも、曜日が分からなくなるのも、来るべきアーリーリタイア後の生活の予習をしているのだ!と思えば。
それはそれで楽しめるのではないでしょうか。
・・・いや、無理ですよね。
自分を騙すのも限界がありますし。
最近は随分マシになってきたと信じたいですが、ブラックという言葉を聞くこともあります。
とはいえ、ブラックとは何だろう?というのもたまに思います。
自分の職種は世間的には、え?なにそれ?という勤務状況の多発する職種だからなのかもしれませんが、新卒採用時からこの職種以外の経験がないので、これが正常なのか異常なのか良く分からないのですね。
それに、残業代は出ていました。
無理の効く30代〜40代前半で、蓄財&投資のサイクルを回していけたのは資産形成の面では大きなインパクトがあったと思えます。
そう考えれば、ブラックか否かの境界は、報酬次第という一面もあるのかなと考えてしまいます。
好きな仕事に取り組んで。
無理なく働いて。
無理なく資産形成を進めて。
無理なく経済的自由を勝ち取って。
無理なくその後の生活を謳歌して。
理想はこうですね。
非凡であれば無理なく全てを成し遂げられるのかもしれません。
でも平凡サラリーマン的にはどうなのか。
何らか無理をして、割り切って、我慢して、ギリギリまで手を伸ばして。
そしてやっと次のステージの扉に指先が届くのかどうか。
そんな程度なのかもしれません。
そんなわけで。
今の職場はパラダイスではありませんが。
苦しいなと感じたときに思い返すことがあります。
30歳過ぎて倒産で失職した際、考えたのですね。
やりたい仕事を探すべきか、やれる仕事を探すべきか。
結局不採用続きもあって後者を選んだのですが。
やりたいことを出来ていない。確かに嫌な状況です。
それでも仕事を続けていれば面白いと感じることも多いです。
何より報酬も出ています。前職からは雲泥の差でした。
全ては先を見据えての無理の一つだったのだと割り切って振り返ってみれば。
祝日?なにそれ?程度の話は、どうってことないのかもしれません。
とはいえ。
皆さん身体だけは大切に。